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ムエタイ修行でタイへ行けば強くなる、という幻想

  • 執筆者の写真: Danny
    Danny
  • 8月2日
  • 読了時間: 13分

ムエタイ修行では見えない、タイ人選手が試合のコーナーで見せる表情

先日、ある日本人ファイターのInstagramに、こんな趣旨のことが書かれていました。

「タイ・バンコクにムエタイ修行に行ったが、特に学ぶべきことはなかった。わざわざタイに来るまでのことはない。むしろ日本での練習で十分」


正直に言います。

その通りです。

日本人の多くは、ムエタイ修行というものを勘違いしています。

タイへ行けば強くなる。 タイへ行けば自分を追い込める。 有名なジムなら、何か特別なものを教えてもらえる。

そんな期待を抱いて、スーパーボーン、ロッタン、ブアカーオ、センチャイなど、有名選手のジムへ人が流れていきます。

そこで1週間か10日間練習すれば、自分も強くなれると思っている。


なるわけがありません。


普段あまり勉強していない人間が、河合塾や駿台の夏期講習に1週間参加したところで、東大には合格できません。

大橋ボクシングジムで数日間練習したら、井上尚弥選手のようになれるのでしょうか。


タイのジムに行って練習することと、自分が上達すること。

この二つは、まったく別の話です。

同じジムで同じ2週間を過ごしても、持ち帰るものは人によってまるで違います。

その差は、どこで生まれるのか。


「強いタイ人とスパーリングしたい」という勘違い


「タイへ行って、強いタイ人選手とスパーリングをしたい」

これも、よくある勘違いです。

結論から言えば、多くのタイ人選手は、外国人旅行者との本気のスパーリングなどやりたがりません。

タイ人選手にとって、さほどやる理由がないからです。

タイでは、ほぼ毎晩どこかで試合があります。

試合に出れば、勝っても負けてもファイトマネーが入ります。

本気で戦いたければ、試合に出ればいい。

トレーナーからすれば、なぜ無料で観光客に付き合い、疲労を溜め、怪我のリスクまで背負わなければならないのでしょうか。

ジム側も同じです。

大切な選手やトレーナーを、観光客とのスパーリングで壊す理由などありません。

タイのジムで本気で倒しに来るようなスパーリングを期待しているなら、最初から期待しない方がいい。


チェンマイのスタジアムで試合前に対面するムエタイの選手

タイ人にとって、試合はスパーリングの延長のような感覚です。

だから、試合に出るのが一番手っ取り早い。

でももちろん試合は、プロテクターを着けた安全なマススパーリングではありません。

生足、エルボーあり。

一発もらえば、深刻なダメージを負う。

その状況の中で距離を読み、相手を読み、恐怖をコントロールする。

選手に必要なのは、その経験です。

日本でもできるマススパーリングを、飛行機代とホテル代を払って、わざわざタイまで来てやる意味はありません。


ジムによっては、著名な選手にプライベートレッスンで軽くスパーリングの相手をしてもらえることもあります。

でも、それで一体、何が変わるのでしょうか。

自分の競技人生に、本当にプラスになるのでしょうか。

多くの場合、それはトレーニングではありません。

自己満足です。

有名選手と練習した。 有名選手とスパーリングをした。 写真や動画をInstagramに投稿できた。

それだけです。

思い出としては価値があるでしょう。

しかし、強くなるためのトレーニングとして価値があるかどうかは、まったく別の問題です。


タイ人が強い理由は、特別な指導法ではない


タイ人のテクニックやコーチングが、日本人指導者より圧倒的に優れているのか。

私は、そうは思いません。

パンチの細かい打ち分け、身体の使い方、コンビネーションの組み立て、距離や角度の説明。この辺りは、日本人指導者の方が細かく、論理的で、科学的であると思います。


では、なぜONE Championshipをはじめとする立技の世界で、タイ人選手はあれほどの存在感を示せるのでしょうか?


理由は単純です。

圧倒的な練習量と試合数。

そして、幼少期から培われたフィジカルの強さ。

それだけです。


タイ人選手の多くは、子供の頃からムエタイを始めます。

朝、ムエタイ。 学校から帰ってムエタイ。 夕方もムエタイ。

野球、サッカー、ゲーム、塾、部活動など、数ある選択肢の中から、ムエタイを選んだわけではありません。

家計を支えるためにムエタイを始め、何年もそれだけを続けてきた選手がほとんどです。

子供の頃から毎日蹴り、毎週のように戦う。

日本人が週に数回蹴っている間に、タイ人選手は子供の頃から毎日何百回、何千回と蹴っています。

蹴っている総量が違うのですから、足技ではタイ人に軍配が上がるのは当然です。


1年は52週間あります。

毎週試合をすれば、6年間で理論上は300試合です。

タイ人選手に250戦、300戦という戦績が珍しくないのは、彼らがそういう環境にいるからです。

日本にいれば、年に数回、試合を組んでもらえるかどうかです。

タイは違います。

本人が出たければ、いつでも出られます。

その環境が、たくさんの戦績を作っています。


教科書や参考書を読んで暗記するだけでは、志望校には合格できませんよね。

本番さながらの模擬試験を何度も受け、赤本を繰り返し開き、徹底的に傾向と対策を行う。

そうやって実践を積み重ねることで、合格の確率を上げるのです。

ムエタイも同じです。

試合とマススパーリングは似て非なるものです。プロテクターで守られた安全なちょろいマススパーリングを何ラウンドやっても、試合でしか学べないものがあります。

恐怖。 焦り。 疲労。 痛み。 観客の声。 相手の殺気。 セコンドの声が聞こえなくなる感覚。

これらは、練習では再現できません。

身体能力は、幼少期でほぼ決まる


フィジカルも同じです。

タイの地方出身の選手は、子供の頃から川で泳ぎ、木に登り、野山や畑を走り回って育っています。

走る。 跳ぶ。 登る。 ぶら下がる。 泳ぐ。 転ぶ。 立て直す。

不安定な地面の上で遊び、自分の身体で危険との距離を測り、何度も転びながらバランスを覚える。

それを、毎日積み重ねています。

はっきり言います。

身体能力の土台は、幼少期でほぼ決まります。

単に「多少影響がある」という程度の話ではありません。

走れる身体。 跳べる身体。 バランスを取れる身体。 瞬時に反応できる身体。

大人になってからでも、筋力、持久力、柔軟性、技術は伸ばせます。

しかし、それはあくまで上乗せです。

土台そのものを一から作り直すことはできません。

子供の頃から身体を使ってきた人間は、動きが違います。

転びそうになった瞬間の反応。 相手との距離の詰め方。 力の抜き方。 バランスの取り方。

一つひとつ理屈で覚えるものではありません。

身体に染み込んでいるかどうかです。

逆に、幼少期に身体を使ってこなかった人間は、どれだけ練習しても動きにぎこちなさが残ります。


才能の差ではありません。

体験の差です。

その身体を持った人間が、子供の頃から毎日ムエタイを続け、毎週のように戦ってきた。

その中から、チャンピオンが生まれます。

数年間格闘技をやった程度の日本人が、簡単に追いつける世界ではありません。

タイに来れば手に入る秘密など、どこのジムにも置いてありません。

彼らが強いのは、何かタイ人だけが持つ特殊な才能や練習方法があるからではありません。

幼い頃から身体を使い、毎日練習し、何百回も戦ってきたからです。

日本の選手が、ムエタイ修行でやるべきこと


日本で普段から練習している選手が、タイへ来てやるべきことはなんでしょうか?


一つは、試合に出ることです。

例えばチェンマイには3つのスタジアムがあり、毎日のように試合が行われています。

その気になれば、滞在中に何度でもリングに上がれます。

上がってください。

毎週でも構いません。

日本の感覚とは、まったく違います。

日本では、試合となると何か月も前から逆算して練習を組み、調整をし、減量をし、とにかく大ごとにします。

こちらは違います。

スパーリングをしに行くくらいの感覚で、普通に試合に出ます。

勝ってもよし。 負けてもよし。

むしろ、どんどん出て、どんどん負けた方がいい。

私はそう思っています。

負けることで学べるものの方が、圧倒的に多いからです。


日本には、なぜか無敗神話のようなものがあります。

負けてはいけない。 無敗でなければ価値がない。

しかし、それが成立するのは、井上尚弥やフロイド・メイウェザーのような、ごく一部の人間だけです。

残りのほとんどの選手は、負けながら上達していきます。


大学受験と同じです。

1回目で落ちても、2回、3回と受けて合格する人間がいます。

受かった1回よりも、落ちた2回の方が、その人間を作っています。

失敗から学ぶことの方が、圧倒的に多い。


ムエタイも同じです。

3ラウンド目で足が止まった。 同じカウンターを何度ももらった。 ローキックを効かされた。 クリンチで押し負けた。 練習ではできていたことが、何一つ出せなかった。


負けた試合は、次に何を練習すべきかを勝手に教えてくれます。


「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」


月曜から土曜まで毎日試合が行われるチェンマイのムエタイスタジアムの対戦カード

野球監督の野村克也氏が好んで使った言葉として知られていますが、もとは江戸時代の大名、松浦静山が残したものです。


勝ちには、まぐれがあります。

たまたま振ったパンチが当たって、相手が倒れた。 相手の調子が悪かった。 たまたま噛み合わせが良かった。

実力以上の勝ち方など、いくらでもあります。


しかし、負けに不思議はありません。

負けたときには、必ず負けるだけの理由があります。

だから、課題を教えてくれるのは、負けた試合だけです。

勝った試合は、何も教えてくれません。

だったら、どんどん試合に出て、どんどん負ければいい。


とにかくリングに立ってください。

タイ人とスパーリングをすることを考える前に、試合に出ることを考えてください。

リングの上で学べることは、スパーリングで学べることより、はるかに多い。

出れば出るほど、学ぶことが増えていきます。 「でもダメージが、、、」

そんな甘っちょろいこと言ってて対戦相手に勝てますか?あなたの前に近い将来現れる対戦相手は子供の頃から毎週生足で痛みに耐えながら何百戦も戦ってきた選手かもしれないのです。


試合以外に、タイで練習する意味はあるのか


あります。

もう一つの大きな理由は、環境を変えることです。

日本にいれば、仕事、学校、家族、恋人、人間関係、通勤、家事などがあります。

生活の大半は、格闘技以外のことに消えていきます。

練習中も、頭の中には仕事や家庭の問題が残っている。

タイに1週間、10日間、あるいは1か月滞在すれば、それらを一度切り離すことができます。

起きる。 練習する。 食べる。 休む。 また練習する。 寝る。

それだけの生活ができます。

日本ではなかなか作れない、格闘技だけに集中するための環境です。


重要なのは「何を習うか」ではなく「何をやらせるか」


タイで練習する最大のメリットは、自分の課題だけに時間を注ぎ込めることです。

日本のジムは、夕方から数時間しか開いていません。

タイのジムは、朝から夜まで動いています。

当ジムにはトレーナーが常時約10人在籍し、常に選手のすぐ横で動きをチェックしてくれます。

自主練習は、簡単に自己満足へ陥ります。

本人は正しく動いているつもりでも、実際は違います。


バランスもリズムも崩れている。 身体の連動が途中で途切れている。 距離が合っていない。 打ち終わった瞬間に気が抜けている。


自分では、なかなか気付けません。

横にコーチがいれば、その場で指摘され、直るまで反復できます。


ただし、タイへ来れば、自動的にそういう指導を受けられるわけではありません。

残念ながらタイのジムは、ほとんどどこへ行っても同じような練習メニューです。

変わり映えはしません。

有名ジムか無名ジムかもほぼ関係ありません。


ウォームアップ。 シャドーボクシング。 サンドバッグ。 順番を待って、ミットを数ラウンド。 軽くスパーリングまたは筋トレ。 終了。


観光客向けの、お決まりのコースです。

本人のレベルは、ほとんど関係ありません。

初心者もプロ選手も、基本的には大きなグループの中で同じ流れをこなします。

ジムにとっては、あなたは大勢いる観光客の一人であり、クラスを滞りなく回し切ることが最大の目的だからです。

トレーナーにとって一人ひとりのレベルを見て、いちいち細かく指導する理由も、モチベーションもありません。それは本来、別料金のプライベートレッスンとして提供すべきものだからです。

パンチのスキルを磨きたい人も、キックの精度を上げたい人も、クリンチを詰めたい人も、全員が決められた同じメニューをこなします。


これで上手くなるわけがない。

日本でやるのと変わりません。


タイに来たなら、トレーナーをプライベートレッスンと同じように使い倒すこと。

それが一番大事です。


例えば当ジムでは、トレーナーが毎回こう聞きます。


「今日は何をやりたいですか」 「今日のフォーカスは何ですか」


そこで、自分がやりたいことを伝えてください。

コンビネーションを練習したい。 パンチのカウンターを練習したい。 キックの威力や精度を上げたい。 クリンチを徹底的に練習したい。

トレーナーは、あなたがやりたいことに合わせて対応します。


課題を持たずに来ても構いません。

その場合は、こちらから提案します。

「あなたはここの技術が足りないから今日はこれをやりましょう」

「あなたの今日のフォーカスはこれです」

そうやって、その日にやることを明確にします。

全員が同じ紋切り型のメニューをこなす時間ではなく、その人が上達するための時間にするのです。


もちろん10個の課題を同時に潰すことはできません。

しかし、今回のキャンプでクリンチにフォーカスしたければ、クリンチにすべての時間を注いでもいい。

ムエタイのキックを磨きたいなら、1,000回でも2,000回でも、トレーナーがミットで受けてくれます。

トレーナーを、自分の上達のために使い倒す。

それが、タイで練習する本当の意味です。


タイのジムへ来る人のもう一つの勘違い


冒頭のファイターも、おそらく同じだったのでしょう。

お決まりの練習コースをこなし、最後に軽くスパーリングに付き合ってもらった。

そして、こう思ったはずです。

「これなら日本でやっても同じだ」 「うちでやっている練習と変わらない」 「むしろ、うちの方がいい」


その通りです。

ただし、そう思うためにタイへ来たのだとしたら、話は別です。

タイに来る人間には、2種類の勘違いがあります。

一つは、タイに来れば強くなれると思っている人。

もう一つは、自分のやり方が正しいと確かめるために来る人です。

有名ジムをいくつも回り、「意外と大したことはやっていない」と確認する。

そして、「日本でやってきた練習は間違っていなかった」と安心して帰る。

それは答え合わせであって、トレーニングではありません。


どちらも、タイのジムを有効に使えていません。


タイへ来るなら、課題を持って来てください。

「今日はどんなレッスンをしてくれるのかな」

そうやって待っているだけの人間は、何も持ち帰れません。

自分から要求してください。

「この技を改善したい」 「この弱点を潰したい」 「この動きを何千回でも反復したい」

言われるままにこなして終わるなら、満足できないのは当然です。

それはタイ修行ではありません。

タイで、いつもの練習をしているだけです。


ジムの選び方


大事なのは、ジムの名前ではありません。

課題を持たずにタイへ来て、渡されたメニューをこなすだけなら、ロッタンのジムに言ったところで結果は同じです。単なるお金と時間の無駄です。


逆に、明確な課題を持ち、それを要求し、必要な反復を最後までやり切れる人なら、どこにいても何かを持ち帰ります。もちろん日本のジムで十分です。


ただし、ジム側がその要求に応えられるかどうかは、別の話です。

あなたが見るべきなのは、ここです。

  • 自分の課題に集中できるか

  • 自分の要望を聞いてもらえるか

  • トレーナーが自分の動きを実際にしっかりと見てくれるか

  • 必要な反復に付き合ってくれるか

  • 試合に出る機会を作れるか

この5つに答えられないジムなら、どんなジムを選んでも同じことです。

有名ジムの空気を吸っても、有名選手と写真を撮っても、技術は身に付きません。

タイのジムをどう使うか。自分は何をすべきか。

その答えを持っている人だけが、タイ修行を意味のあるものにできます。

チェンマイでの試合後、ベルトを掲げる選手と関係者

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