格闘家の脳を蝕む「衝撃×アルコール」の真実。なぜ"酒"が格闘家の人生を壊しやすいのか(チェンマイのジム現場から)
- Danny
- 7 日前
- 読了時間: 13分
ムエタイジム「The Camp」を運営していると、日々、人間の「光」と「影」が交錯するのを目の当たりにします。
午前の澄んだ空気の中、タイの熱気に包まれながらロードワークに励み、サンドバッグに魂をぶつけ、肉体の限界を突破しようとする姿。それは格闘家としての、紛れもない「光」です。
しかし、陽が落ちると、その同じ手が「酒」を掴みます。「今日一日頑張ったから」「せっかくチェンマイに来たから」「友達と楽しみたいから」。理由はいくらでもあります。
ここで、私たちのジムとしての立場を明確に、かつ断固として宣言します。
アルコールは、嗜好品という仮面を被った「発がん性物質」であり、脳に対しても神経毒性(neurotoxic effects)を持ち得る物質です。お酒は飲んではいけません。
タイでは長年、公衆衛生・治安上の理由から、酒類の販売時間が日中の一部に限定され(たとえば一般の販売は 11:00–14:00、17:00–24:00)、午後の時間帯は“空白”として管理されてきました。 thailand.prd.go.th しかし近年は、観光・サービス業の側から見直しを求める声も強く、実際に2025年12月には、午後帯(14:00–17:00)の販売禁止を180日間だけ外す試験運用が報じられています。 AP News+1 これは「国が酒を推奨し始めた」という話ではありません。むしろ、“規制が必要なほど社会コストの大きい物質”をめぐって、健康と経済のあいだで綱引きが続いている、という現実です。 見直し議論が起きるたびに、健康と経済の衝突が表面化します(タイも例外ではありません)。
そして格闘家は、一般の人よりもさらに危うい立場にあります。 なぜなら格闘技は、競技構造として「脳に衝撃を蓄積させる」からです。そこにアルコールが重なると、ダメージは足し算ではなく、掛け算になり得ます。 今日は、アルコールの是非を"空気"ではなく"根拠"で語ります。そして格闘家にとって、なぜアルコールが致命傷になり得るのかを説明します。
第1章:なぜアルコールを「毒」と断定するのか

1-1) アスベストやタバコと同列:最上位の「発がん性(Group 1)」
アルコール飲料に含まれるエタノール、そして体内で代謝される際に発生する「アセトアルデヒド」は、IARC(国際がん研究機関)により「グループ1(ヒトに対して発がん性がある)」に分類されています。
これはアスベストや放射性物質、タバコと同じカテゴリーです。
米国国立がん研究所(NCI)も、アルコールが口腔・咽頭・喉頭・食道・肝臓・乳がんなど複数のがんと関連し、IARCのGroup 1である点を明確に説明しています。
要するに、酒は「飲めば体内で"発がん性のある生化学反応"が走る」ものです。 気合や根性で無害にはできません。
1-2) 「適量」という物語は、がんの前では崩れます
「少量なら健康に良い」という説は、最新の疫学調査によって否定されつつあります。
WHO/EuropeとIARCは、欧州議会向けの共同声明で、がん予防の観点から**「飲まない方が良い」**というメッセージを明確に示しています。
特に重要なのは、軽度から中等度の飲酒でもがんリスク増加の明確な証拠があるため、がんに関して安全量は設定できない、という点です。少なくとも「がん」という一点において、"少しなら健康にいい"という物語は成立しません。
1-3) 脳は「依存」の問題以前に、構造そのものが損なわれ得ます
アルコールの問題は「依存」だけに矮小化されがちですが、脳の構造そのものとの関連が、データで示されています。
UKバイオバンクの脳画像を用いた大規模研究(36,678人)では、アルコール摂取量が多いほど、灰白質・白質など脳構造指標が不利な方向に関連することが示されました。
さらに、アルコールが血液脳関門(BBB:脳を守る最も重要なバリア)を傷つけ、神経炎症に関わる、というレビューもあります。
言い換えると
酒は「肝臓に悪い」だけではありません。脳の司令塔そのものを、静かに削り得る物質です。
格闘家にとって、脳は唯一無二の司令塔ですよね。その司令塔を自ら溶かしている事実に、私たちはもっと敏感になるべきです。
第2章:その「酒が必要な理由」は、ただの錯覚である
2-1) 「赤ワインは身体に良い」という罠
過去に"少量飲酒は健康"という話が広まりました。しかしこれは観察研究の影響を受けやすく、飲む人・飲まない人の生活習慣や健康状態の差(交絡)が結果を歪めることが知られています。
ポリフェノールの恩恵を受けるために必要なワインの量を飲めば、その恩恵を受ける前にアルコールの毒性で肝臓と脳が悲鳴を上げます。
そして少なくとも、国際機関が出しているメッセージは**「がん予防の観点からは飲まない方が良い」**です。
健康目的で酒を持ち上げるのは、構造的に危険です。なぜなら、得(仮にあったとしても)より、失(がん・脳・精神・事故)が大きくなりやすいからです。
健康のために飲むなら、ブドウを食べるか、サプリメントで十分です。
2-2) 「ストレス解消」ではなく「神経の麻痺」
酒は一瞬、感情を鈍らせます。しかし代償として、睡眠・気分・衝動性の問題を増幅し得ます。
アルコールが抜けた後、脳は反動で以前よりも不安を感じやすくなります(アルコール後遺性の不安)。これは解消ではなく、**「ストレスの先送りと増幅」**です。
そして、アルコール使用と自殺リスクの関連は、系統的レビューやメタ解析でも繰り返し示されています。
厳しい言い方になりますが、ここは大事なので言います。
酒は、ストレスを減らす道具ではありません。ストレス耐性を削り、問題を先送りし、最後に爆発させる道具になり得ます。
第3章:格闘技は「脳に借金を作るようなもの」である
格闘技は素晴らしいです。鍛錬、礼節、技術、覚悟。私も現場でそれを見てきました。
しかし同時に、脳に関してだけは、格闘技は極めて冷酷です。
3-1) 一発のKOより怖い「日々の蓄積」
CTE(慢性外傷性脳症)は、研究が進む領域でありつつも、"反復する頭部衝撃"との関連が重要視されています。
CDCも、CTEは長期にわたる繰り返しの衝撃と関連して研究されている、と整理しています。
そして現場で一番危ないのは、派手なKOよりも、**日々のスパーリング、ミット、試合で蓄積する「小さな揺さぶり」**です。
これを「サブコンカッシブ・インパクト(脳震盪に至らない程度の微細な衝撃)」と呼びます。症状がすぐ出ないからこそ、自覚がないまま「脳の借金」は溜まっていきます。
3-2) 壊れていく「脳のブレーキ」
衝撃の蓄積は、感情や衝動を制御する「前頭葉」の機能を低下させます。
CTEの症状としては、記憶や思考だけでなく、抑うつ、不安、衝動性、攻撃性、人格変化などが語られます。若年期に行動・気分の変化が前面に出る可能性、後年に認知症様の症状が出る可能性が整理されています。
格闘家が引退後にキレやすくなったり、依存症に陥りやすいのは、本人の性格の問題だけではなく、**「脳のブレーキが物理的に壊れている」**可能性があるのです。
つまり、格闘家のリスクは「引退して終わり」ではありません。引退してから始まることがあります。
第4章:「衝撃 × アルコール」が引き起こす最悪の相乗効果
ここが本稿の核心です。では、格闘家が酒を飲むと、何が起きるのか。
私はこう表現します。
格闘家の脳は、すでに火種が散っている森です。アルコールを飲むのは、そこにガソリンを撒く行為です。
これは比喩ではなく、メカニズムとして議論されています。

4-1) 神経炎症のダブルパンチ
頭部に衝撃を受けると、脳内では「ミクログリア」という細胞が活性化し、炎症反応が起きます。これは脳を修復しようとする反応ですが、そこにアルコールが入ると、炎症が慢性化し、神経細胞の死滅を加速させる可能性があります。
mTBI(軽度外傷性脳損傷)と有害飲酒の関係についてのレビューでは、炎症・免疫シグナル、酸化ストレス、神経変性、神経内分泌変化など、複数の経路が悪化に関わり得ると整理されています。
そしてアルコール側も、神経炎症やBBB(血液脳関門)障害に関与し得ることがレビューで述べられています。
要するに、「殴られて炎症を起こしている脳」に「炎症を助長し得る要因」を足す。これが相乗効果の正体です。
4-2) 回復のゴールデンタイム「睡眠」の強奪
格闘家は、筋肉だけでなく神経も回復させています。格闘家の成長は、練習中ではなく「睡眠中」に起きます。
ところが酒は回復の核心である睡眠の質を劇的に低下させ、深い睡眠(レム睡眠・ノンレム睡眠)を分断します。
脳を洗浄するシステムである「グリンパティック系」は、睡眠中に駆動されやすく、アルコールはこれを抑制し得ることが示唆されています。つまり脳の洗浄機能がアルコールで妨げられ、老廃物(アミロイドβ等)が排出されにくくなるのです。酒を飲む格闘家は、脳のゴミ(老廃物)を洗い流す機会を自ら減らしているといえます。
結果として「治りきらない状態」を固定しやすくなります。格闘家は、ここで詰みます。

第5章:引退後の人生を襲う「破滅の方程式」
競技生活を終え、引退後、人は「自由」を求めます。しかし格闘家の脳には、過去の衝撃の"負債"が眠っている場合があります。
そこで酒が習慣化すると、次のことが起きやすい。
「孤独 × 酒 × 抑うつ × 衝動性」= 破滅
引退後に起きやすいものは、喪失感、孤独、生活のリズム崩壊です。
そして酒は、抑うつや衝動性のリスクを上げ得る。自殺との関連もメタ解析で繰り返し示されています。
ここで格闘家の場合、もし前頭葉系のブレーキが弱っていれば、「止める力」そのものが落ちている可能性がある。
その状態で酒を入れると、衝動が勝ちます。普段なら踏みとどまれる一線を超えてしまいます。
私はあなたを脅すために書いているのではありません。引退後の人生を守るために、最悪の組み合わせを言語化しているだけです。
私たちは、リングの上で輝いた英雄たちが、引退後に酒に溺れ、人格を失い、惨めな最期を遂げる姿をこれ以上見たくありません。
第6章:肝臓が壊れるとき、脳は二度殺される
酒は脳を直接傷つけ得ます。しかしそれだけでは終わりません。肝臓が壊れると、脳は"別ルート"で再度ダメージを受けます。
「酒で肝臓が悪くなるだけなら自己責任だ」と思うかもしれません。しかし、体は繋がっています。
肝機能が低下すると、体内のアンモニアなどの毒素が浄化されず、血流に乗って脳に到達します。これを**「肝性脳症」**と呼び、神経学的・精神医学的症状のスペクトラムとして説明されています。
要するに――
酒は、脳を直接攻撃し、肝臓を壊し、その結果として脳を間接攻撃します。二段構えです。
直接的な衝撃で傷つき、アルコールで直接焼かれ、さらに肝臓からの毒素で追い討ちをかけられる。格闘家の脳は、まさに三方からの攻撃に晒されているのです。
第7章:酒を飲むのは、練習の一部をドブに捨てるのと同じである
酒は「健康」以前に、あなたの努力を裏切ります。精神論ではありません。生理学的なパフォーマンスの話です。
7-1) 筋肥大を妨げる(筋タンパク合成の抑制)
動物実験では、急性アルコール摂取が筋タンパク合成を抑え、mTORシグナルにも影響し得ることが示されています。
人間の研究でも、運動後の筋タンパク合成が抑制されることが報告されています。つまり、アルコールは運動後の回復・適応プロセスを損ね得るということです。
格闘家の言葉に直すなら、こうです。
「酒は、あなたが積んだ練習の一部を、その日のうちに削ります。」
酒を飲むことは、その日のハードな練習の成果を減らすことと同義です。
7-2) テストステロンの低下
闘争心と筋力の源であるテストステロン。アルコールは精巣の機能を直接低下させ、格闘家にとって最も重要なこのホルモン値を下げる可能性があります。
7-3) コンディションの崩壊
酒は脱水、睡眠の質低下、食欲の暴走、翌日の練習効率低下を引き起こしやすい。
アルコールの利尿作用は、細胞から水分と電解質(マグネシウム、亜鉛など)を奪います。これは翌日の練習のパフォーマンスを下げるだけでなく、脳を守る髄液のクッション機能にも悪影響を与える可能性があります。
そして何より、習慣化すると"生活のリズム"が崩れます。格闘家にとって、リズムが崩れた時点で負けです。
第8章:顔が赤くなる人は「遺伝子からの警告」を聞け
日本人を含む東アジアには、飲むと顔が赤くなる体質の方が多くいます。これはALDH2活性が低いことと関連し、アセトアルデヒド(毒性・発がん性が議論される代謝産物)の処理が弱い可能性が高い。
ALDH2欠損者では、同量の飲酒でもアセトアルデヒド関連のDNA損傷が増える可能性が示され、食道がんリスク増加の機序として議論されています。
したがって、顔が赤くなる方に「慣れれば飲める」は通用しません。それは"耐性"ではなく、"警告灯の無視"です。
「飲んでいるうちに強くなる」というのは、脳が麻痺して警告を感じなくなっているだけで、体内のダメージは加速しています。
顔が赤くなる格闘家にとって、酒は文字通りの「猛毒」です。
結論:あなたの拳は、自分の未来を壊すためにあるのではない
アルコールについては、IARCがGroup 1に分類する発がん性要因であり、WHO/EuropeとIARCは「がん予防の観点からは飲まない方が良い」と明確に述べています。
そして格闘家は、繰り返される頭部衝撃によって脳の火種を抱えやすい。CDCもCTEを反復衝撃と関連づけて説明しています。
そこにアルコールを重ねることは、炎症・回復阻害・精神面のリスクを"掛け算"にし得ます。
ですから私は、ジムで現場を見ている人間として、こう提案します。
格闘家が一生を壊したくないなら、アルコールは「ゼロ」が最も合理的です。
ここに、綺麗事はありません。科学と現場の両方が、同じ方向を向いています。
「ほどほどに」という言葉は、脳に借金を抱える格闘家には通用しません。
代替手段:脳を守る「最強の戦術」を選べ
酒を断つことは、何かを諦めることではありません
本物の休息 サウナ、マッサージ、そして質の高い睡眠。格闘家にとって睡眠は練習です。
深い繋がり 酒を介さず、汗と技術で語り合う仲間との食事。人と繋がる場(飲み会ではなく、食事・散歩・軽い運動)。
栄養の最適化 特にタンパク質と微量栄養素(マグネシウム、亜鉛、ビタミンD)を整え、回復の土台を作る。
自己コントロール 衝動に打ち勝つ精神力。これこそが最強の格闘技術です。
専門家への相談 気分の落ち込みが続く場合は、意地を張らずに専門家に相談する。これは"弱さ"ではなく"戦略"です。
格闘家は、常に自分の戦い方を知っているはずです。ならば、引退後の人生を守る戦い方も、今ここで選べます。酒を断つことは、格闘家としての誇りと、引退後の長い人生の輝きを**「守り抜く」という、最も勇敢な決断**です。
チェンマイのこのジムで、私たちは格闘技を通じて「より良い人生」を掴んでほしいと願っています。強くなること、健康であること、そして引退後も豊かな知性と精神を保ち続けること。それこそが真の格闘家の勝利だと思うからです。
最後に:これは格闘家だけの話ではありません
アルコールは発がん性要因であり、脳に対しても構造レベルの変化と関連し得る物質です。普段から飲んでいる方も、決して例外ではありません。
むしろ、いまMuay Thaiを始めたあなたにこそ関係があります。身体を鍛えることは、人生を立て直す行為です。ならば同時に、人生を静かに削り得るもの :つまり「酒」との関係も、ここで見直す価値があります。 Muay Thaiは、強さだけでなく「選び直す力」を育てる競技です。酒との付き合いを変えることも、その一部です。
この記事が、格闘家の未来だけでなく、あなた自身の健康と人生を守る一助となることを願っています。
この記事が、あなたの大切な人生を守る一助となることを願っています。 ※ 当ムエタイジムでは施設内の一切の飲酒を禁止しています。
参考文献・情報源
本稿は以下の公的機関および査読済み研究に基づいています。
IARC(国際がん研究機関): アルコール飲料のGroup 1(発がん性あり)分類 https://www.iarc.who.int/
米国国立がん研究所(NCI): アルコールと複数のがんの関連 https://www.cancer.gov/about-cancer/causes-prevention/risk/alcohol/alcohol-fact-sheet
WHO/Europe & IARC 共同声明(2023): がん予防とアルコール https://www.who.int/europe/news/item/06-11-2023-joint-statement
Nature Communications(2022): UKバイオバンク脳画像研究(36,678人) Daviet R, et al. "Associations between alcohol consumption and gray and white matter volumes" https://www.nature.com/articles/s41467-022-28735-5
CDC(米国疾病予防管理センター): CTE(慢性外傷性脳症)の概要 https://www.cdc.gov/traumatic-brain-injury/
Mayo Clinic: CTEの症状と進行に関する解説 https://www.mayoclinic.org/
PLOS ONE(2014): 運動後のアルコール摂取と筋タンパク合成 Parr EB, et al. "Alcohol Ingestion Impairs Maximal Post-Exercise Rates of Myofibrillar Protein Synthesis" https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0088384
PMC(PubMed Central): mTBIとアルコールの相互作用レビュー https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/
MDPI: アルコールと血液脳関門・神経炎症 https://www.mdpi.com/
AASLD(米国肝臓学会): 肝性脳症の定義と症状 https://www.aasld.org/
タイ政府広報: アルコール販売時間規制 https://thailand.prd.go.th/
AP News: タイのアルコール販売規制緩和に関する報道 https://apnews.com/



