<メーホンソンからクンユアムへ>
今日はメーホンソンから山道を南下。目指すはクンユアムというちいさな町。 あるトレーナーの実家へと向かいます。
クンユアムは、メーホンソーンの南約65キロの場所にあり、かつては、日本軍が駐留し、日本兵が野営もしくは現地のお宅にお世話になるなど、日本兵と現地タイ人の深い交流が結ばれた町です。

まずは今回の目的地の一つ、クンユアムにある「タイ日友好記念館」を訪れました。

大東亜戦争当時、クンユアムはビルマ戦線へ向けた重要拠点とされ、食糧調達、道路開拓などに従事すべく、当時多くの日本兵が駐留していました。日本軍はクンユアムの人々から歓迎され、駐留時には一緒に道路の整備を行うなど、現地の人たちと深い友好関係を築いたことが、当時の資料からもうかがい知ることができます。

戦後、史上最悪の作戦と言われた「インパール作戦」の悲劇は、作戦時より作戦中止命令が下りた後、撤退の過程でより多くの日本兵の命が失われたことでした。撤退の過程で日本兵の多くはマラリアや赤痢、感染症などで次々と倒れ、祖国の土を踏むことなくここクンユアムにも約7000人の日本兵が埋葬されています。今でも多くの遺骨がこの地に眠っているそうです。
こちらに詳しい記事が載っています。ご興味のある方はどうぞ。
私も日本国民の一人として、まずはクンユアムの方々に敬意と感謝の意を捧げ、また当地にて散華された英霊に合掌して参りました。

さて、ここからトレーナーの実家までさらに1時間。
道無き道をただひたすら山の奥へと向かいます。
山間部に人知れず建つ一軒の農家。ここが今日の最終目的地。ターの実家。

ここには何もありません。
数年前にやっと電気が通ったばかり。
何もないただの侘しい農村にすぎないのに、思わずため息が出てしまうほどの美しい風景。「自然美」とはまさにこのことを言うのでしょう。
到着してすぐにご両親の手厚いおもてなしを受けました。




「こんな小さな村で生まれ育った少年が世界の一流選手を教えるムエタイトレーナーになった。息子の仕送りで生活もよくなった。。。」
いまやご両親にとってもさぞかし自慢の息子でしょう。こちらもそんな光景を見ていて思わず嬉しくなりました。
たかがムエタイ。
されどムエタイ。
ムエタイは子供達に夢を与え、そしてその家族をも支えていました。
運命のいたずらなのか、そもそもムエタイとは縁もゆかりもないのに、なぜかムエタイを愛し、ムエタイの世界にどっぷりはまっている自分がいます。
でもこういう生き方も悪くないかな、、、なんて
メーホンソンの山奥のちいさなちいさな村でのお話でした。
<番外編>
ソンクランの時期は村中で宴会が繰り広げられます。 ターの実家のすぐ近くの集落にある別のトレーナーの実家で村人たちが飲み会をやっているとのことだったのでちょっとだけお邪魔しました。



続く